生存本能ヴァルキュリア

「君たちが明日の『ヒカリ』だ 輝き続けてくれ」丸山担の妄言。

「ノスタルジア」を考えた

「ジャム」初回限定A盤に収録されている「ノスタルジア」の歌詞について。わりと長文です。この曲があまりに好きなので色々考えてしまいました。

 

 

前提として、ノスタルジアの歌詞の自分称はすべて「僕ら」と複数型になっています。僕、ではなく「僕ら」。そして二人称は「君」のみ。

この「僕ら」と「君」は果たして誰のことを指しているのか、について仮説を立て検証していきます。

 

1) 「僕ら」=僕と「君」の二人のこと

  「君」=「好きだって言え」なかった君

 

好きだって言えずに 静まった軒先

「静まった軒先」で好きと言おうとした相手が「君」である、というのが仮説①です。河川敷で寝転んで宇宙と話してたのも星座を教えてくれたのも好きだった「君」。楽しい記憶を思い出し郷愁の念に浸りつつ、迷ったり立ち止まったりの今を生きる「僕」は「君」からもらった言葉を道標に進む…「故郷」での恋に対するノスタルジアを描いたラブソングという解釈になります。この曲を聴いた大多数が想像するストーリーはこんな感じかな〜と思っています。

しかし説①に則って詞を読んでいくと、少し違和感を覚える箇所がいくつか出てきてしまうのです。

 

サヨナラを繰り返すたび

まずこのフレーズ。なかなか好きだと言えないくらい純情な恋愛の対象である「君」なのに、何度も別れ(サヨナラ)を繰り返している…私は少し不自然に感じました。

 

「サヨナラを繰り返すたび」や「戻れない場所」という詞は「君」とは今現在は別れていることを示唆しています。

 

そして、

過ぎ去った季節に 消えてった街並み

とあるので、「君」と別れ「故郷」から出てから街並みが変わるくらいに長い時間が経っていることも分かります。

 

そんなだいぶ昔に別れ、今は付き合いのない初恋相手の「君」への歌、と捉えるには他にも不自然な詞が多いのです。

 

今だって僕らは 夢見たときのまま

何処へでも行けるさ

「僕ら」とは、「僕」と別れた恋人である「君」の二人のことです。だいぶ昔に別れた恋人へ送る言葉としてはこの言い回しもやはり不自然です。これでは僕と君二人ともが「悩んで」「立ち止ま」っていることに対し、「何処へでも行けるさ」と励まし鼓舞しているようにとれます。昔の恋人である「君」と、今も「僕」と同じように悩んでいると知っているほどの交流がある?ノスタルジアに浸る相手への語りかけにしてはあまりに現在進行形ですね。

 

悩んで 迷って 立ち止まるとき

君の声が道標になる

連れてって 連れてって 夜明けの向こうで

出逢う“ひとつだけ”を信じてる

「君」に「連れてって」と随分かわいいお願いをしています。物理的にも精神的にも今現在は距離が遠いであろう「君」に対してなんか馴れ馴れしくない?そもそも昔の恋人である「君の声」に現在形で「連れてって」と縋るのはあまりに過去に依存し過ぎなような。

 

変わってゆくって 分かってたあの日

僕ら 走れるだけ駆け抜けた

強がって さすらって 戻れない場所で

今日も“その続き”を歌ってる

何度も言いますが「僕ら」とは「君」と「僕」です。「君」と「僕」の二人は共に駆け抜け「戻れない場所」まで来たようですが、「君」と「走れるだけ駆け抜け」る程長い時間共に過ごしていたのでしょうか?「戻れない場所」についても色々な解釈ができますが、この場合は「君」と幸せに過ごしていた「故郷」のことかと思われます。「君」と一緒に故郷を飛び出したものの、都会で二人は大人へと変わって行きやがて別れてしまった、幸せだった時にはもう戻れないという意味の「戻れない場所」。では「“その続き”を歌ってる」はどういう意味でしょう。「その」が指すのものは?終わってしまった「君」との恋の続き、でしょうか?

 

 

というわけで仮説①だとなんとなくモヤモヤが残ってしまうのです。昔の初恋の君との思い出話とするにはなんだかすっきりしない歌詞になっています。昔の恋を描いた表向きのストーリー以外にも、詞に込めた情景があるのではないか。

そこで仮説②を考えてみました。

 

2) 「僕ら」=歌っている4人

  「君」=?

 

歌っている四人(丸山・安田・錦戸・大倉)の為に当て書きされた歌ではないか、という説です。

 

変わってゆくって 分かってたあの日

僕ら気付かぬふりで走った

今だって僕らは 夢見たときのまま

何処へでも行けるさ

「僕ら」はここまで一緒に走り駆け抜けて、またこの先に進もうとしている“仲間”だとするとこの詞はすんなり納得できます。お互いに励まし合い前に進もうとしています。

 

ちなみに、仮説①(君=初恋?の相手)の前提となっているのは

好きだって言えずに 静まった軒先

何処からか聞こえた花火

この二行になりますが、逆に言うと曲中の明確な恋愛描写はこの二行のみなのです。恋愛がメインのストーリーだとすると二行のみの描写では弱いですよね?

これは「瞼の裏にある景色」*1の一つとしての恋の情景でしかなく、そんな昔の恋もひっくるめ「故郷」での出来事全てへのノスタルジアを描いた曲だとしたら。「僕ら」が歌い手の四人であるなら、「故郷」とは大阪の街でありデビュー前の青春時代への『ノスタルジア』を描いている、ということになります(「故郷」に「まち」とルビを振っているのも「故郷」がそれなりに都会の街であることを示唆しているようにも見えます)。

 

更にサビ部分の歌詞で気になるのは

出逢う“ひとつだけ”を信じてる

この「ひとつだけ」が何故か括弧で強調されていることです。

今日も“その続き”を歌ってる

の「その続き」も同じく括弧付きです。重要なサビで更に括弧をつけて強調している2つのフレーズは、即ちこの曲の主題・一番描きたいことであると言っていいかと思います。

Wikipediaによると「“”」は強調する言葉に使う他に、「いわゆる・いわばというニュアンスで、言葉を文字通りに受け取ってはいけないということを示す際にも用いる。」*2と記載されていました。二つとも抽象的なフレーズなので、なんらかの比喩・暗喩なのは間違いないでしょう。果たして何を指しているのか。

 

 

結論から言っちゃいますが、おそらくどちらも「夢」を表しているのでは、と思いました。

 

今だって僕らは 見た時のまま

何処へでも行けるさ

 

曲中で「夢」という言葉はここにしか出てきません。「僕ら」は「故郷」で「夢」を見て今も「夢」を見続けている、ということがここではっきり描かれています。更に

忘れられないから 輝いてるんだよ

君が教えてくれたあの星座(ほし)

の「星座(ほし)」も「夢」の比喩でしょう。星=夢というのはよく使われる直喩表現です。

 

「星」という単語は

遠い日の星祭り

はしゃいで寝転んだ河川敷

天球儀を回しては 僕らは宇宙(そら)と話してた

曲冒頭にも出てきます。文字通り子供の頃お祭りではしゃいだ思い出、という意味だけではなく、たくさんの夢を仲間と語ったという比喩もあるのではと思います。夏祭りではなくあえて「星祭り」という単語を持ってきたのもこのような意味を持たせる為はないでしょうか。

 

サヨナラを繰り返すたび 皮肉にも思い知るのさ

仮説①では「君」限定の「サヨナラ」としましたが、仮説②では恋人に限らず人生での様々な出逢いと別れのことと捉えます。そうするとこのフレーズは

逃れられないメビウス 愛しく苦しいライフ

この箇所に繋がっていきます。人生は出逢いと別れの繰り返し、この苦しさから逃れることはできないけれどだからこそ出逢いの一つ一つが愛しく感じるよね~といったところでしょうか。

 

 

さて、ここまで「僕ら」の話だけで考察を進めてきましたが、まだ大きな疑問が一つ残っています。

進んで 迷って 立ち止まるとき

の声が道標になる

連れてって 連れてって 夜明けの向こうで

出逢う“ひとつだけ”を信じてる

が教えてくれたあの星座(ほし)

この、悩み立ち止まるときに進む先を教えてくれる「君」、「夜明けの向こう」にある夢に連れていってくれる「君」。

夢を教えてくれた「君」とは一体誰なのか

 

「僕ら」が関ジャニ∞メンバーなら、「君」=ファン=EIGHTERでしょうか。これが一番自然な解釈かと思います。

どんどん環境が変わりハコも大きくなっていったけど、心は「故郷」*3で歌っていたときのまま迷ったり悩んだりしている。この曲を聞いている「君」が「僕ら」を救って夢の先に連れていってくれる。メンバーからファンに向けたラブソングですね、とってもいい曲😊😊😊😊悩んでるんだね😊😊😊😊かわいい😊😊😊😊何処へでも連れてってあげるからね😊😊😊😊心配しないでね😊😊😊😊ずっといっしょだよ😊😊😊😊

 

 

ラブソングに見せかけて実はファンに向けた歌なのでは、という綺麗な形に着地しました。ここまで長々とお付き合い頂きどうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

と終わらせてもいいんですが、

まだ一ヶ所だけ引っ掛かるところが残っていたんです。

 

「飲み込んだ涙の味が 甘くなくて良かった」なんて

サヨナラを繰り返す度 皮肉にも思い知るのさ

この箇所、詞の中に台詞を表すカギ括弧があります。「~なんて」と続いていることから、誰かの言った言葉を思い出しているようです。何度も言いますがこの曲には「僕ら」と「君」しか出てきません。「僕ら」が思い出しているのだからそれは「君」から聞いた言葉ということになりますが、「君」=ファンとすると、ファンからかけられた言葉としてはこのフレーズはなんか変。応援や感謝や愛を伝えるような言葉ではないし、メッセージが具体的です。親しい友人と飲みの席での慰め合いでポロっと出てきそうな…。

 

 

 

この言葉の主である「君」が、仮にファン以外の誰かだとすると、

 

「僕ら」4人に「涙の味」を教えてくれたのは

 

遠い昔、「故郷」で夢を教えてくれたのは

 

「僕ら」にとっての「宇宙(そら)」なのは

 

「僕ら」の道標にはなるのは

 

「僕ら」が「連れてって」と甘えられるのは

 

 

 

一体誰でしょう?

 

 

 

歌詞引用に関しては下記リンク参照

はてなブログにJASRAC管理楽曲の歌詞の掲載が可能になりました - はてなブログ開発ブログ

 

 

*1:「消えてった街並み」で、NHK『songs』でバンド練習していた建物が駐車場になっていたシーンを思い出した

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%AC%E5%BC%A7

*3:ここでは松竹座と捉えてもいいと思います。