生存本能ヴァルキュリア

「君たちが明日の『ヒカリ』だ 輝き続けてくれ」丸山担の妄言。

私見

この文章は単なる私見であり現在の心境のメモ書きのようなものであって、決してこれが正しいとか間違っているとか意見の押し付けをしたい訳ではありません。これをインターネットに公開するのは、こういうことを考えているジャニオタもいる、という一例を増やしたいだけです。



まず加害が実際にあったかということを画面のこちら側が決めることではない、ということをはっきり言いたい。私達が決めるべきではない。事務所は認めた、これだけが今の事実だと思う。
被害者の証言にあやしいものが含まれている、司法で裁いてもらうべきという意見がSNSには溢れているし、私も同意見ではある。無かったことを証明するのはあったことを証明するよりずっと難しい。
そして井ノ原くんが言っていたとおり昔から噂があったことも、20年前に文春の記事が司法に取り上げられたことも、それも事実あった。
表に見えていることはたくさんあるけど、表沙汰になっていない、私達が知らない事実だってきっとたくさんある。メディアに名前を出せない被害者の声があったかもしれない。それは在籍中のタレントだったのかもしれない。私の好きな人かもしれない。表に出ていることだけで判断して「被害者は虚言、でっちあげ」と言っているアカウントがたくさんいるけれども、それが本当にあなたの好きな人を守ることになるのか、と思う。



事務所は今までこれだけのボランティア活動をしてきた面がある(だから良い事務所だ)という論説はおかしい。それとこれは話が別だろう。そもそも今までのボランティア活動は罪への償いとして行ってきたものではないし、ここで引き合いに出してしまったら今までの活動で喜んでくれていた方々はどういう気持ちになるだろう。



ファンの罪というものはあるのだろうか。
少なくとも私は噂は知っていた。北公次氏の本*1も読んだことがある。知っていたのに声をあげなかったと言われたら確かにその通りだ。
アイドルを性的搾取している、と言われたら素直に認めないといけないとは常々思っている。アイドルのステージや音楽だけを楽しんでいるファンもいるだろうけど、私はそうではないから。アイドルを人間として好きで尊敬しているし、音楽もパフォーマンスも込みで応援しているけれど、それだけではないから。アイドルの外見を好きだと言い性的に見ていることは間違いない。
性欲は生物にとって必要なものであり否定することではないけれど、人が文化的に生きるためには抑制してコントロールするのは必要不可欠だから、今後の価値観の変化でパートナー以外を性的に見ることが倫理に反するとなったら私はアイドルのファンを辞めなければならない。今はまだあちら側がそういう視点を容認してくれているから私は彼らのファンでいられるだけなのだ。



今回の件、対象が同性であることが報道や野次馬の関心を加熱させている部分があるように感じる。もちろん芸能界の中で大きな事務所であることもだけど。
小児性愛については対象に手を出した時点で犯罪であるし、個人的には重罪であり絶対に許せないので、仮に芸能界で未成年相手の事案が他にもあるのなら性別問わず同じように取り上げて追求されて欲しい。追求されていない噂はまだいくらでもある。



親のように慕っていた恩人が犯罪者であったと決めつけられて、反論しようにもグルーミングと言われ更に自分が被害者であると決めつけられるなんて一体どんな気持ちだろう。どれだけ辛いことか想像がつかない。好きな人が苦しんでいたら助けたいと思うのは当たり前のことだし素晴らしいことでもある。そして私には何もできることはない。直接の知り合いでもないし。報道はでっちあげで冤罪だと叫ぶのも、被害者だと決めつけて加害をしたとされる氏を糾弾するのも、どちらにしても彼らを傷つけるだけだと思う。私にできることはない。
彼らは成人だから、事務所の方針が意にそぐわないのなら自分の判断で辞めることもできる。もちろん事務所を辞めてしまったら今までと同じ活動はできないし様々なしがらみもあるだろうし、簡単に辞めるという決断はできないだろうけど、現状は事務所に留まって活動を続けると決断したのだからそれを静かに見守るしかない。私にできることはそれだけだろう。

*1:後年あれは嘘の告発だった、と暴露していたことも知っている